箸蔵はんの一升水

箸蔵はんの一升水

徳島新聞Web 阿波の民話より

とんと昔(むかし)、あったと。

箸蔵寺(はしくらじ)の裏山(うらやま)に、讃岐(さぬき)へ通(つう)じる道(みち)がある。ここに年中(ねんじゅう)、一升(いっしょう)ぐらいの水(みず)が湧(わ)き出(で)て、どんな日照(ひで)りでも枯(か)れることがないそうな。

また、雨(あめ)が降(ふ)っても増(ふ)えもせず、いつもきれいな水(みず)がたまっとった。

昔(むかし)、弘法大師(こうぼうだいし)が、讃岐(さぬき)からけわしい峰(みね)をたどって箸蔵(はしくら)はんへ来(こ)られる途中(とちゅう)、のどが渇(かわ)いて水(みず)を飲(の)みたいともうた。ところが、どこにも水(みず)はない。ほんで、持(も)っとった杖(つえ)の先(さき)を土(つち)ん中(なか)へ刺(さ)すと、ほこからきれいな水(みず)がこんこんと湧(わ)き出(で)たそうな。ほれから、この水(みず)を「一升水(いっしょうみず)」ちゅうようになったんじゃと。

ほれから、お大師(だい)っさんは、かぶっとった笠(かさ)を脱(ぬ)いで、ほこへ水(みず)を一杯(いっぱい)入(い)れて山越(やまご)えされた。

やがて、箸蔵(はしくら)へたどり着(つ)いて、山(やま)の下(した)を見(み)ると、吉野川(よしのがわ)の大(おお)けな流(なが)れが目(め)に入(はい)った。ほんで笠(かさ)の水(みず)は、もういるまいともて捨(す)てられた。ほこにはいつも笠一杯(かさいっぱい)の水(みず)がたまっとんで「笠(かさ)の川(かわ)」ちゅうようになった。

おーしまい。

◆注釈

【ともうた】と思(おも)った
【ほんで】それで
【ほこから】そこから
【ほれから】それから


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