終活考(二)

今回は、終活の落とし穴というか、あまり気付かれていない部分について書いてみたいと思います。 今の終活では、遺言やエンディングノートで遺された方に対する希望を伝えています。 これについては、財産分与やお葬式のスタイルなど、一つ一つ完結していくものであればその希望は叶うかもしれませんが、「この先ずっとこ 続きを読む 終活考(二)

終活考(一)

現在の終活について、思うところをまとめてみます。 今年の4月におこなった講演のパワーポイントの資料を手直しして使っています。 現在、終活として行われていることは、以下の図のようなものだと思います。 これらを、時の流れによって3つに分けてみました。 この分類、「生の準備」、「死の準備」については特に思 続きを読む 終活考(一)

ものの考え方あれこれ

これまで、対機説法というテーマでいくつか雑感をアップしてきました。(過去の記事参照) 対機説法を行うためには、色々な考え方を認め、相手の気持ちになって考えることが大切です。 人はそれぞれ、色々なものの考え方を持っていて、知れば知るほど興味深い生き物だと思います。 いつもの宗教的観点ばかりではなく、時 続きを読む ものの考え方あれこれ

雑感(20170913)

欲望に流される人がいなければ戒律など必要ない。 毎日、不倫のニュースが伝えられる昨今だが、世の中に、誘惑に負けたり心変わりをする人が少なからずいるからこそ、結納を交わしたり結婚を神仏に誓ったりする儀礼が生まれてきたのだと思う。 破りもしないものなら、わざわざ「誓います」などという必要がないのだから( 続きを読む 雑感(20170913)

雑感(20170904-1)

仏教には、「対機説法」という言葉があり、これは「相手の能力や・素質に合わせて法を説く」という意味です。 これには、「どこまで理解してもらえるか」という、レベルの問題や、「ここまで分かるようになったなら、次はこれを理解できるだろう」というレディネスの問題だけでなく、サッカーの好きな人にはサッカーに、将 続きを読む 雑感(20170904-1)

雑感(20170901)

医学に基礎医学と臨床医学があるように、宗教も基礎宗教と臨床宗教という分け方もできるのではないかと、ふと思う。 基礎は自利、臨床は利他の色合いが濃いと思われるが、基礎にも臨床にも自利利他のどちらの要素も含まれている。 基礎は不変のものを追い求め、臨床は対機説法などを用い、相手に応じて正しい答えを見つけ 続きを読む 雑感(20170901)

本来無東西?

置かれた場所が変わった方へ 自分の心の中心が 元いた場所から動かなければ 貴方が今、立っている場所は いつまでたっても「遠いところ」のまま そこが中心と思えたときに ようやく「ただいま」と言える場所になる 紙の地図なら端っこの場所でも 丸い地球にまっすぐ立てば いつでもそこは世界の中心 さらに分別を 続きを読む 本来無東西?

修験道の袈裟のお話

一昨日、当山の箸供養柴灯護摩、無事厳修することができました。 土用の真っ只中でしたが、時折小雨降る比較的涼しい天気で、暑すぎなかったことは本当によかったです。 以前、真言僧侶のなり方について少し書かせて頂きましたが、今回は、柴灯護摩にちなんで修験道の袈裟についてご紹介致します。 修験の袈裟には大きく 続きを読む 修験道の袈裟のお話

雑感(20170730)

人は一人では生きていけない ではなく 人は一人では生きていない 自立というのは誰の力も借りずに生きていくということではなく、自分が様々な方々の力を借りながら生かされていることに気づき、それに感謝しながら今の自分が出来ることをできる形でお返ししていくこと。 そのためには、「世の中からのインプット(in 続きを読む 雑感(20170730)