バスとタクシーと電車

Aさんが、Bさんから
「ある場所に行きたい時はどうすれば良いか?」
という相談を受けたとします。

今、Aさんがが知っているのは、

バスで行く(安いけど時間がかかる)
タクシーで行く(早いけどお金がかかる)

という2つの方法です。

この場合、Aさんの対応は

1.
どちらも伝えて好きな方を選んでもらう。

2.
自分が良いと思う方だけを教える。

の、2種類があります。

どちらも、良かれと思っての行動だとしても、

1が「相手の思い通り」を大切にする行動であることに対して、

2は、情報を制限して「相手を自分の思い通りにする」行動となっています。
この場合、Bさんが時間を大切にする人かお金を大切にする人かによって、Aさんの「良かれと思って」は正解にも不正解にもなります。

また、実は他にも電車で行く方法が存在していて、Aさんがそれを知らなかったとしたら、Bさんは、Aさんの「意思」ではなく、Aさんの「情報不足」により選択肢を減らされていることになります。

この例えは、個人と個人の問題であり、Aさんがどのように答えようがどれだけ知識が少なかろうが、それはBさんがAさんを選んで相談した以上、しかたのない問題です。

しかし、これが民主主義の組織とその決定機関の関係だった場合、選ばれて舵取りを任された決定機関には個人にはない責任が生じます。

組織の方向性を決める判断を求める時は、公正な情報を元に行われるのが最適だと思われます。

しかし、もし決定機関が確固たる意思で「情報操作」し、リーダーシップという名の下に自分の思う方に誘導した場合、決定機関は結果に対して全責任を負う覚悟が必要です。

また、決定機関が「情報操作」ではなく「情報不足」により多くの選択肢を与えられなかった場合は、知識不足や調査不足という理由で適性に欠けるという評価を受けることとなります。
「そんなことにも気づかなかったのか」と…。

もちろん組織に属する一人一人も、全てトップに丸投げするのではなく、自らが考え調査してアイデアを出す努力をすることは必要ですが、選ばれて舵取りを任された決定機関は、それに見合った一層の努力を行わなければないという話です。

とある組織で、決定期間としてかなり大きな方向性を協議しなければならない状況になりましたので、心を整理するために。

情報操作を行うのではなく、できる限りのデータとそのメリットとデメリットを揃えて、納得のいく判断をしていただこうと思っています。