灯籠のお話

本日は、三好市の旧池田町では灯籠上げの行事が行われます。

ちょうど十年前の八月、三好市のミニコミ誌『まちかど』内の、僧侶のリレー連載コーナー「仏の心!!」に、拙稿「灯籠のお話」が掲載されましたので、ご紹介致します。

仏の心!!「灯籠のお話」(『まちかど』平成19年8月号より)

今回は、この地方に伝わる灯籠の風習についてご紹介させて頂きたいと思います。

この地方では、この1年の間に亡くなった方の初めてのお盆(初盆)に、灯籠に火を灯して迎えるという風習があります。
これは、お葬式の時、仏様の力で極楽に導かれた方が、初盆で初めて自分でお里帰りをする際に、迷うことがないようにと行われているものです。
灯籠には亡くなった方の戒名が書かれた紙の幡(はた)が貼り付けられ、それに夜通し 灯を入れて、暗いときでもよく見えるようにします。
昔は外からよく見えるように、軒下や縁側に吊されていたのですが、最近では家の中の窓際に吊すことが多いようです。

私たち僧侶は、灯籠を初めて吊す「灯籠上げ」の日と、灯籠を外す「灯籠下ろし」の日に、檀家さんの家に灯籠を拝みにいく(または来ていただく)わけですが、この灯籠上げ下ろしの日は、地域によって違いがあります。
灯籠上げ、灯籠下ろしがそれぞれ七月三十日と八月三十日という、「三十日」を大切にする地域と、それぞれ七月三十一日と八月三十一日という「三十一日」を大切にする地域の二つに分かれています。
旧池田、西山、箸蔵などは「三十日派」で、井川町、東みよし町などは「三十一日派」です。
おそらく、旧暦では七月も八月も三十日までしか無かったことが原因だと思われます。
暦が新暦に変わった時に、「三十」という数を大切に考え、三十日に行うこととした地域と、「月の最期の日」という意味合いを大切に考え、三十一日に行うことに決めた地域の二つに分かれたのではないかと思います。

灯籠が外された後は、家族や親族の手によって無事にあちらの世界に送る行事が行われます。
昔は灯籠流しが主流で、灯籠が乗る大きな船が用意され、灯籠と共に沢山のお供え物が乗せられて吉野川に流され、灯籠が見えなくなるまで見送っていました。
しかし、最近ではそのスタイルに変化が見られてきています。
池田の諏訪公園では、河川に対する環境の問題から、寺院、地域住民、業者等の話し合いにより、河原で灯籠をお焚き上げし、代わりに水に溶ける紙製の小さな灯籠を流すという方法が採られています。
また、東みよし町では船を一切使わず、お焚き上げのみという方法が採られています。
川からではなく空に帰ってもらおうということですね。
もちろん、古くからのやり方で船で灯籠を流しているところもあります。

この時期になると檀家さんやそれ以外の方からも、灯籠をどうすればいいかというご相談を受けることがありますが、私は現状の全ての方法をご紹介し、家族の方が心から見送れる方法を選択していただいています。
但し、流される場合でもガラス瓶やプラスチックなど、危険なものや自然に還らないものは積まないようにお願いし、お焚き上げの場合でも、ダイオキシン等有害物質の発生するものは燃やさないようにお願いしています。
私たちの世界を汚す方法で送ってもらっても、ご先祖様は喜ばないでしょうから。

世の中には変わっていくものと変わらないものがあると思います。
これから先、灯篭の風習もまだまだ形を変えていくのかもしれませんが、ご先祖様に感謝し見送る心は、いつまでも変わらぬものであって欲しいと思います。