菩提心36号 ー 秘仏を護持するということ ー

第36号特集.秘仏を護持するということ(H30.11.17)

箸蔵寺は秘仏を本尊とするお寺です。

秘仏とは、扉が閉ざされた厨子などに安置され、そのお姿を拝見することができない仏さまのことです。

秘仏の中には、何年かに一度「御開帳」してその姿を拝見できる仏様もありますが、当山は歴代住職でも一度も開帳したことがないと言われているご本尊様です。

秘仏としてお祀りされるには様々な理由がありますが、その一つに「強すぎる霊験により、直接そのお姿を拝見することを避けたり、近くに寄ることを避ける」という理由があり、当山のご本尊はこの理由により秘仏となっています。

このような筋金入りの秘仏をお祀りするお寺を護るものとして、私も歴代住職と同様、本尊様に対し畏敬の念、まさに畏れと敬いの気持ちをもちながら日々を過ごしています。

これは、本尊様と信者さんとの橋渡しの姿勢についても同様です。
よく、ご参拝の方より「お姿は拝めなくてもご本堂の中にだけ入れて欲しい」というご要望を頂きますが、そのような方には「講員」(本尊様のお軸を授与され、本尊様の拝み方を覚えられた特別な信者さん)となって頂けるよう、お願いをしています。

本堂に入るということは「貴方に会いたくて来ました」と言って自宅を訪問するようなものです。
それなのに、会いたいと言っている相手のことを何も知らなかったり、敬意を払わなかったりというのでは、むしろ逆効果となってしまいます。
いきなりカメラを向けるというのも同様ですね。

人間にも言えることですが、より近い距離に行くほど相手のことが見えるだけでなく自分のことも相手に伝わります。
良い行いに対する良い印象も増大すれば、悪い行いに対する悪い印象も増大します。
本尊様が秘仏であれば、それはさらにハイリスク・ハイリターン。

ですから、お堂に入りさえすれば御利益が得られると思っている方や、美術や文化財としてのお堂にしか興味が無い方には、堂内に入って本尊様の近くに寄ることをご遠慮願っています。

物品であれば、同じお金を払えば同じ物が手に入ります。
しかし、同じ行動(因)をしても、心の持ちよう(縁)が異なれば、それによって得られるもの(果)が異なる、そういう「目に見えない物」も存在します。

お堅いと思われるかもしれませんが、秘仏をお祀りする寺院の住職として、このような姿勢で当山を護持していることをご理解頂きたく存じます。

誤解のないように申し上げますが、今回のお話は秘仏をお祀りしているお堂の話であって、それ以外の場所は何も知らずにご参拝される方もちろん大歓迎です。
そこから新しいご縁が生まれるのですから。(薫習-高野の昼寝-Napping at Koyasan 参照)

問題は距離感だけです。

人間でも、誰かが同じことをしていても、それが
・テレビなど画面の向こう
・家の外
・庭先
・家の中
・パーソナルスペース(親密ではない他人に近づかれると不快に思う距離)
など、相手の距離によって、感じ方は異なると思います。

箸蔵寺での秘仏の権現様との距離感は、昔から「御本殿の中と外」で大きく分けられているとご理解頂けると幸いです。

当サイトの内容は、ご自由にリンク、引用して頂いて結構ですが、著作権を放棄するものではありません。
箸蔵寺による著作物の引用や転載の際は引用・転載元を明記していただきますよう、お願い申し上げます。