菩提心38号 -ご先祖様は過去か未来か?-

第38号特集.ご先祖様は過去か未来か? (R1.12.12)

当山でも「墓じまい」の依頼をされる方が増えてきました。
それにともない「なぜご先祖は大切にしなければいけないの?」というご質問を頂くことがあります。
そのお答えになっているかどうかは分かりませんが、今回は先祖供養を「過去と未来」という観点から考えてみたいと思います。
まず、ご先祖は、自分たちの過去を作ってくれた方々です。
ご先祖がいるからこそ私たちがこの世に存在し、その誰か一人でもいなければ、自分はこの世に生まれていません。
ですから、自分をこの世に生み出してくれた方々に感謝をするということ、これがご先祖を大切にする理由の一つです。
これは「過去」に対する思いであるといえます。

次に、ご先祖の生きていた時代は過去でも、先に生まれ、先に年老いていった方々は、自分たちがまだ経験していない未来の姿であるともいえます。

子供叱るな 来た道だもの
年寄り笑うな 行く道だもの

という言葉がこれをよく表していると言えます。

このように、お年寄りが自分の未来の姿であるとすれば、そのさらに先、ご先祖の向かった先もまた、自分が未来に行き着く先と考えることができます。
ご先祖は過去の人であるとともに、「自分が往(ゆ)くべき未来に先に往っている人」です。

(密教の教えでは「阿(あ)字(じ)の子が 阿字のふる里立ち出でてまた立ち返る 阿字のふる里」という句にあるように、自分の還っていく世界は「生み出される元」でもあるといえますが。)

そう考えると、「いつか必ずお邪魔する世界を大切に思っています」という意思表示をすることは、自分の未来の居場所を大切にすることに繋がります。
これもご先祖を大切にしなければならない理由の一つだと思います。
ですから、

子供叱るな 来た道だもの
年寄り笑うな 行く道だもの

の後に、

ご先祖忘れるな 往く世界だもの

という言葉が付け加えられても良いような気がします。

このように、ご先祖を供養するということは、誰かの過去を大切にすることだけでなく、自分のいのちの延長上にある未来を大切にすることでもあるといえます。

墓じまいを希望される理由の一つに「子供達に負担をかけたくないから」というものがあります。親として子供に経済的負担を与えたくないという気持ちは理解できます。
しかし、子供に対し「自分たちを拝んでもらうことに遠慮を感じ、申し訳ない」などと精神的負担を感じるのは誤りだと思います。
先ほど述べたように、ご先祖を大切にするということは、遺(のこ)された者の未来を大切にすることにも繋がっているからです。
ですから、お墓が有ろうが無かろうが、どんな形でもご先祖を大切に思う気持ちを死ぬまで持ち続けること、それができるかどうかで自分の往く先が定まると思っています。
これから墓じまいが増えていくことは時代の流れだと感じますが、たとえ墓じまいをしても、それが「先祖じまい」や「感謝じまい」にならないことを願って止みません。

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