菩提心40号 -変わるもの 変わらないもの-

第40号特集.-変わるもの 変わらないもの- (R3.12.3)

コロナ禍で今までとは異なる生活様式となって二年が経とうとしています。

このような中、箸蔵寺でも様々な変化を求められてきました。そして、「何を変えるべきか、何を変えてはいけないのか」を考える際に、今まで当山では先ず第一に「拝むということ」を大切に考えて、

・拝むための変化は柔軟に受け入れ、
・拝まないで済ませる方向への変化は慎重に判断

という物差しで対応を行ってきました。

これまでも、例えば永代供養や墓じまいに関しては、自分が亡くなっても先祖を大切にしたいという「拝むため」の永代供養や墓じまいについてはご相談に乗りますが、これで安心して先祖を忘れられるといった、「拝まないため」の永代供養や墓じまいはお断りしています。

コロナ禍での大きな変化はやはりリモートです。

リモート会議、リモート飲み会などの普及に伴い、お寺でもリモート法事やリモート祈願が増えてきました。
これに関して箸蔵寺でも、「たとえ実家に帰れなくてもどうやって拝むか」という、前向きな気持ちから生まれてきたリモート法要には、できる限りの対応は行っています。
その結果、コロナのせいで戻ってこられなかったご家族はもちろん、コロナが無くても戻ることの難しかったご親戚も一緒に手を合わせてもらえるという、新しい可能性が生まれました。

また、檀家を離れたいという一番の理由である、地元からの転居に対しても、「このような形で対応してくれるなら、どこに住んでいてもわざわざ檀家を移る必要がなくなった」と仰る方もいらっしゃり、実はこの変化はマイナスを補うだけのものではなく、新たな可能性を秘めたものであると思えるようになりました。

日本に密教が伝わった当時から見れば想像も付かない変化だと思いますが、お大師様も、このような今まで会うことのできなかった方とも繋がれるという新しい布教ができるのであれば、一人でも多くの方に真言密教を知ってもらうためにきっと利用されたのではないかと思います。

真言密教で使われる言葉で「運心(うんじん)」という言葉があります。
「状況に対応する」というような意味で用いられます。
例えば、修法の目的に合わせて正しい方向で拝むことを「随方(ずいほう)」で拝むと言いますが、立地条件や様々な理由でそれができない場合、たとえ違う方向を向いていても心の中で正しい方向に向いていると観念する場合に「運心」を用います。
また、方角以外にも、「如法(にょほう)(=正しい方法)」で拝みたくても必要なものがその場にない場合、そこにあると信じて拝むという場合にも使われます。

このように、真言密教では「随方」や「如法」など、正しいあり方を一番に考えますが、それが叶わない場合は、「それならやめた方がまし」と、形を大切にして取り止めてしまうのではなく、変えてはいけない芯となるものを見極めた上で、心を運んで「今できる形に対応していく」こともあります。

皆さんもこれから先、臨機応変で対応しなければいけないことや、大きな変革を伴う決断を迫られることなど、様々な分岐点に出会うかもしれませんが、変えてよいものと変えてはいけないものをしっかり見極め、納得のいく選択を行って頂ければと願っています。

(以上)

箸蔵寺による著作物の引用や転載の際は引用・転載元を明記していただきますよう、お願い申し上げます。