菩提心28号-開眼(かいげん)のお話-

第28号特集.開眼のお話(H26.12.5)

○はじめに

私たちが檀家さんによく頼まれることといえば、法事やお葬式ですが、それと同じくらいよく頼まれるのが、「お墓やお仏壇を新しくしたので拝んで欲しい」いうお願いです。
このあたりではよく「お性根(しょうね)を入れる」という言いますが、正式な言い方では「開眼(かいげん)」をするといいます。(反対に、古いお仏壇やお墓のお性根を抜くことを「撥遣(はっけん)」といいます。)
今回は、開眼とは何かをお話ししたいと思います。

○開眼とは

開眼は「眼を開く」と書きます。
この言葉は、仏師(ぶっし)が仏像を彫るとき、一番最後に眼を入れることによって魂を込める所からきています。
今は開眼という言葉は、仏像や仏画だけでなく、仏壇やお位牌など、眼のないものにも使います。
開眼とは魂を入れることだと言われますが、真言密教の考え方では、外から魂を込めるというよりも、そのものの中の仏様の心「仏性(ぶっしょう)」を呼び覚ますと考えるほうが正しいです。
仏師のように、自ら開眼する力を持っている人の創ったものは、創られた時点で聖なるものとなりますが、そういう力を持っていない一般の人の作ったものは、あとで僧侶によって開眼作法を行うことによって聖なるものとなります。
これによって、単なる美術品、工芸品が、聖なるもの、信仰の対象として生まれ変わるのです。
私たち僧侶は開眼作法によって、誰か人の手で作られたものを仏様と私たちをつなぐ特別なものにしているのです。

○開眼作法

以前、『菩提心』十八号「仏壇とお墓のお話」でも書きましたが、私は、お墓やお仏壇は何のためにあるのかと聞かれた場合、
「お墓やお位牌は、向こう側の仏さまの世界にいるご先祖様に気持ちを伝える窓口であり、面会場所なのですよ。」
とお答えしています。
生前の身体であった遺骨を納めたお墓、ご先祖様のために特別の飾り付けをされた仏壇の中のお位牌、そういった特別な場所に、僧侶が「開眼作法」という特別な作法をおこなって、ご先祖様と心を通わせる場所にしているのです。
お墓は「お骨があるから大切な場所である」というよりも、「お骨のある所に開眼作法をおこなったから、聖なる場所となった」と考えていただく方が正解です。
ですから、昔、戦地に赴いて帰ってこられなかった方の、お骨のないお墓も存在します。
また、震災の津波にさらわれてご遺体を発見することができない方や、散骨をしてお骨が残っていない方の子孫が、どうしてもお墓を建てたいと思った場合には、お墓を建てることも可能です。
開眼作法は、何もないところからでも仏様との縁をつなぐことのできる特別な作法であり、一度開眼作法を施されたものは大切に扱われなくてはいけません。

○おわりに

今回は開眼についてご紹介させて頂きました。
現在、お墓や仏壇の形も大きく変化しています。
しかしながら、そこに向き合う「残されたもの想い」は同じです。
今後もお墓や仏壇以外でも、様々な「想いの対象」の形が生まれてくるかもしれません。
しかし、どのような時代でも、真言僧侶には、この開眼作法を用いて皆さんと仏様をつなぎ、想いを通わせる力が必要とされています。

(追記)
最近は、若い方に「お墓や仏壇を開眼する(お性根を入れる)ということは、お墓や仏壇という端末で、遠くにいる相手とS○ypeでお話できるようにIDやパスワードをセットアップすることです。」と話すこともあります(笑)。

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