第21号特集-三つの行い―三業(さんごう)のお話-

第21号特集.三つの行い―三業(さんごう)のお話(H23.8.5)

○はじめに

私たちは生きています。

生きているということにより、私たちは毎日色々な行動をとっています。

真言宗では、私たちが行っている色々な行いを、大きく三つに分けています。

その分け方は、体をうごかす、言葉を発する、心で考える、の三つです。

○三つの行い「三業(さんごう)」

もし、あなたが、遠くにいる誰かに気付いてもらいたいと思ったとき、あなたは何ができるでしょうか。

一つは、大きく手を振ったり、ジャンプしたり、手をたたいたり、体を使って相手に気付かせることです。

他にもできることがあります。

「おーい、○○さーん」と、声を出して呼び止めることです。

もう一つできることがあります。

それは心から願うことです。

「お願いだから気付いてくれ。」と一生懸命(いつしようけんめい)思うことです。

このように、私たちができる行いは、体を動かす、言葉を発する、心で考える、という三つから成り立っています。

これらは別々の種類の行いです。

ですから、ジョギングをしながら鼻歌を歌いつつ、「今日は何を食べようかな」と考えるなど、同時に別々に行うこともできます。

しかし、人が本当に一つのことに夢中になり、集中して何かをやっている時には、これらの3つの行いは、同じ目的で行われることもあります。

真言宗ではこれらの、体、言葉、心の、三つの行いを、それぞれ、身業(しんごう)、語業(ごごう)、意業(いごう)とよび、三つあわせて三業(さんごう)と呼んでいます。

○三業(さんごう)を清浄(しようじよう)にする

真言宗の教えでは、この三つの行いを良くする(三業(さんごう)を清浄(しようじよう)にする)ことが大切だと言われています。

行いには、かならず結果がついてきます。

何の行いもしなければ、何も変化はありませんが、何かを行うと言うことは、それによって何かが変わると言うことです。

それも、良い行いをすると良い変化が起こり、悪い行いをすると、悪い影響(えいきよう)が生まれてくるのです。

ですから、

例えば、誰かと話をしている時でも、

・相手の方をまっすぐ向いて話を聞くか、それとも寝転がったりよそ見をしながら話を聞くか(身業)

・真剣に受け答えをするか、それとも、何も言わずにぼーっと聞いたり、「はいはい」と適当に相づちを打つか(語業)

・相手の気持ちになって話を理解しようとするか、それとも、「早く終わらないかな」などと他のことを考えながら聞いているか(意業)

では、相手の受ける印象は異なり、それによって相手の態度も変わってきます。

場合によっては「もうこの人と話をしても仕方がない。」と思われてしまうかもしれません。

ここでは誰かと話をする場合を例にあげましたが、それ以外の全ての私たちの行いも、私たちの「これから」に影響を与えています。

ある行いによって「何か」が起こり、その「何か」が次の「何か」を引き起こす原因となり、それはずっと続いていくのです。

ですから、多くの人が良い行いを意識しながら生活をしていけば、より心豊かな世界へと変わっていけるのです。

世の中には、三業すべてを集中させなければならない行いもあれば、逆に別々にして、それぞれに注意を払わなければいけない行いもあります。

大切なのは、身、語、意それぞれの行いがその場に応じた一番よい行いかどうかを考えていくことだと思います。

○おわりに

今回は三業(さんごう)についてご説明させていただきました。

真言宗では、全ての行いは、体(身業)、言葉(語業)、心(意業)の、三つの行いに分けられると言うことがご理解いただけたと思います。

このことを何かのおりに思い出していただき、たまには

「今やっている行いは、身、語、意の3つのチェックポイントから見て、よい行いなのか?」

なとど考え、お役に立てていただければ幸いです。

(以上)

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