第2号特集-加持とは-

第2号特集.加持とは(H10.12.1)

○はじめに
第一号では「死」と仏教との関わりを考えるため、お葬式をテーマにしました。今回は「生」と仏教との関わりを考えるため「加持」をテーマにとりあげたいと思います。

○「加持祈祷」とは
人はより幸せに生きるために、いろいろなお願い事をします。「家族が平和に暮らせますように。」「病気が早く治りますように。」「仕事がうまくいきますように。」「希望の学校に合格しますように。」など、例を挙げるときりがありません。真言密教では、このようなお願い事が成就し、ご利益(現世利益)が得られるように、「加持祈祷」を行います。
加持祈祷には目的に応じていろいろな形があります。いくつか例を挙げると、箸蔵寺で一日も休むことなく行われている「護摩祈祷」も加持祈祷の一つです。また、土用の丑の日に行われる「胡瓜加持」も加持祈祷の一つの形です。
このように、加持祈祷は現世利益を得るために行う密教の儀礼という形で一般に知られています。しかし、「加持」という言葉の持つ本来の意味はあまり知られていないようです。そこで以下からは「加持」という言葉の意味を考え、本来の加持祈祷とは何かを考えていきたいと思います。

○「加」と「持」
「加持」とはいったいどういう意味でしょうか。
実は「加持」という言葉は「加」と「持」の二つから成り立っています。お大師様はその著書の中で「加持とは如来の大悲と衆生の信心とを表す。」とおっしゃっています。つまり、
・仏さまがいつ何時でも私たちを見守ってくれるという慈悲の心が「加」であり、
・私たちが仏さまを信じ、精進努力していこうという信心が「持」である
とおっしゃっているのです。そして、この慈悲と信心が一つになったとき、加持の力が生じ、ご利益が得られるのです。
このように、慈悲の心と信心のどちらが欠けても加持にはなりません。交通安全を例に取ってみると、たとえ仏さまがどんなに大きな慈悲の心をお持ちでも、「自分は交通ルールを守っているから仏さまなど関係ない。」というような、仏さまを信じる心を全く持っていない人のところには加持力は生まれないでしょう。反対に、いくら仏さまを信じ、熱心にお願いをしても、「信号無視をしても車にぶつかりません様に」など、そのお願いが自分本位なものであったり、誰かを傷つけるものであれば、仏さまは慈悲の心で応えてくれないでしょう。この場合は「私たちは仏さまに感謝し、交通ルールを守って正しい生活をします。どうか事故にあわないように見守って下さい。」というお願いをすることによって、初めてご加護が得られるのです。
仏さまの慈悲が信仰する者の心に加えられ、信仰者がその慈悲を信心によって感じとって初めて加持になるのです。
加持祈祷はお坊さんが特別な力でみなさんにご利益を与えるものではありません。みなさんが仏さまと心を通わせるために、お坊さんが仏さまと対話する「橋渡し」の方法なのです。

○おわりに
私たちは自分のお願い事を仏さまに一方的に頼むだけでなく、仏さまの慈悲の心を体に感じ、自分のお願いをより高いすばらしいお願いに変えていくことが大切だと思います。加持祈祷はご利益をもたらすものであると同時に、仏さまとより親しくなるきっかけ、窓口になっているのです。

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