雑感(20170904-1)

仏教には、「対機説法」という言葉があり、これは「相手の能力や・素質に合わせて法を説く」という意味です。
これには、「どこまで理解してもらえるか」という、レベルの問題や、「ここまで分かるようになったなら、次はこれを理解できるだろう」というレディネスの問題だけでなく、サッカーの好きな人にはサッカーに、将棋の好きな人には将棋に例えて話をするなど、いかに相手のフィールドを理解していけるかも大切だと思います。

また、対機説法と同じ意味の言葉に、「応病与薬」という言葉もあります。
病に応じた薬を与えるという意味ですが、薬の種類だけでなく薬の強さや量も重要だと感じます。
つまり、相手がどれだけ宗教や僧侶を必要としているかに合わせて向き合うということです。
坂本龍馬は西郷隆盛のことを「釣り鐘に例えれば、小さく叩けば小さく鳴り、大きく叩けば大きく鳴る」と評したと言われていますが、何か通ずるものを感じます。
大きな求めに小さく応えていると、真剣に向き合ってくれていないと感じるかもしれませんし、小さな求めに必要以上に大きく応えていると、押し付けや、最悪の場合、洗脳ととられないとも限りません。

対機説法も、応病与薬も、どちらも相手のことをわからないとできないこと。
ホントに難しいですね。