雑感2020117ー終活期は小学6年生?

昨日の終活取材のお陰で、「そういえば、こんなことを考えていたな」ということを思い出したので…。

テーマは「人生を小学校の6年間に置き換えると、終活は小学6年生の気持ちに似ているのでは?」です(笑)

若くて健康な時には、自分の身に死が訪れるなどほとんど考えることもありません。
同様に、小学校入学時は、6年先など気の遠くなるような未来で、自分が卒業がするなど考えたこともありませんでした。

しかし、上級生になるにつれ、小学生は永遠に続くものではなく、いつか卒業していくのだということに気づき始めます。
特に5年生の終わりになると、卒業式において卒業生を送り出す在校生代表の立場となり、後一年で自分たちが送り出される逆の立場になるのだということを認識させられます。

そして6年生。
「もう上はいない、次は自分だ」という現実を突きつけられ、
・中学校とはどんなところなのだろうか?
・自分はやっていけるのだろうか?
・どんな準備が必要だろう?
など、中学という未知の世界に対する色々な不安や焦りが生まれてきます。
この「知らないものに対する不安と心構え」が何となく人生におけるまだ見ぬ死後への不安や覚悟(→終活)に似ていると感じられるのです。

そして上級生にはご先祖との共通点があります。
自分より先に生まれた上級生は、先に中学という別の世界に移り、一旦は自分が毎日登校する小学校という世界には存在しなくなります。
そして、普段の生活ではいつしかあまり思い出すこともなくなるのですが、時が流れ、自分が卒業して中学に入るのだなと実感が生まれてきたとき、また同じ学校で上級生として出会うことになるかもしれないのだと再び身近になってくるのです。
これは、若いうちは死ぬことは他人事だと考えていても、いざ死と向き合ったときに「私も死ぬのだ。では、私はどこに行くのだろう?私たちの親や先祖はどこにいったのだろう?」などと考えて、また思い出されてくることに似ている気がします。

中学に進学することは、お兄さんやお姉さんなど年上のきょうだいがいる方には、普段から身近なお手本があるので心構えができており、第一子の私とは考え方が違うかもしれませんが、私にとって、「いつまでも同じことか続いていくのではない」ということを強く実感したのは小学校の6年間でした。
中学卒業や高校卒業の時には自分の中での卒業に対する経験値がアップしているので、いつか終わりが来る不安や覚悟はそこまで大きいものではありませんでした。
全ての方に当てはまるとは思っていませんが、こういう例えも共感してくれる方もいらっしゃるかもしれないので、雑感として残しておきたいと思います。

ところで、中学生になるときには不安だけでなく新しい生活への期待も含まれています。
死に関しては、未知の世界への期待というものはなかなか持ちづらいかと思います。
しかし、いつかは必ず訪れるものである以上、生きることにまっすぐに向き合ったならなら、それに見合ったその先を信じてもいいのではと思います。
そして、そのお手伝いをするのが宗教だと考えています。
よく生きてよく往く、そんな気持ちで迎えたいものです。