東西同時護摩

四国22番、平等寺さんからお声掛けを頂き、本日16時、東の平等寺さんと西の箸蔵寺で同時護摩を修法し、YouTubeで配信が行われました。

徳島の両端で同時に護摩法を修し阿波の国を巡る全ての皆様の安全を祈念させて頂くという素晴らしい経験をさせて頂き、また多くのご縁を頂戴しましたこと、心より感謝申し上げます。
同時に、当方の通信環境の問題で見辛かった部分があり、ご参拝の皆様や平等寺さんにご迷惑をおかけしましたこと、申し訳なく思っています。

朝の打ち合わせで、平等寺さんの方が「本尊様」と「護摩の様子」の2画面というのをお聞きして、それならば左右のバランスを良くするために「うちも2画面いけるんじゃない?」と楽観視、安請け合いしてしまいました。
一台目のカメラ(護摩の修法)は安定した有線で、追加のカメラ(お不動様)はモバイルWi-Fiで繋いだのですが、モバイルの方が思った以上の電波状態の悪さで、お不動様の画面が何度も切断されたようです。

実は護摩壇の奥、護摩師から見える場所にお不動様を映すタブレットが設置されていたのですが、修法中に何度もリロードされている様子が目に入った時の「これはまずい」という動揺からの、「いやいや、もう登壇しているのだからここは東西気持ちを合わせて拝まねば」という持ち直し...という、普段の修法にはない心のコントロールを経験することとなりました。

この様な反省点はありましたが、今回の同時護摩には色々学ぶことがありました。
リモートを、動きが制限されている中でのマイナスを補うものと考えるだけではなく、
今まで存在しなかったものを新しく生み出すというプラスの可能性を感じました。
リアルだからこそ繋がる縁もあれば、そうじゃないからこそ繋がる縁もある。

「必要は発明の母」という言葉がありますが、リモートに限らず、今の状況に真剣に向き合うことにより、数多くの新しいものが生み出される時期が来ているのではないかと思います。
そして、新しい変化に対し、色々な考えをお持ちの方がいらっしゃると思いますが、結局の所、大切なことは、「使うのは人」であるということ。
それが良い物になるか悪い物になるかは、どのように向き合うかという「人の心で決まる」のだと思います。