真言宗の流派について

最近は、護摩などの動画が数多くアップされていて、僧侶が修法を行っている様子をじっくりと見られる機会も増えているように感じます。
そのせいか、在家の方でも密教の作法に興味を持つ方が多くなり、「○○寺さんの拝み方とは違いますね」などというお声を頂くことも・・・。

今回は真言僧侶の作法の違いについて少しお話をさせて頂きたいと思います。

現在の真言宗は、元はお大師様お一人から伝わったはずなのに、壇の飾り、仏器の置き方、数珠の持ち方、結ぶ印、唱える御真言、護摩であれば護摩木の本数など、色々な部分が流派によって少しずつ違います。

安土桃山時代に生まれた茶道でさえ450年近く経った今、表千家、裏千家、武者小路千家の3つに分かれて、杓の置き方など、色々作法が異なったりしているのですから、1200年以上も前の平安時代から伝わっている密教の作法が色々な流派に分かれてきたのはある意味当然のことかと思います。

密教の流派は、お大師様の入定後、早い時期に(小野方と広沢方という)二つの系統に分かれ、その後それぞれの系統がさらに細かく分かれていきました。
現在は各系統それぞれ六流、合わせて十二の流派「野沢(やたく)十二流」が伝承されています。
まるで、野球の、セ・リーグ6球団、パ・リーグ6球団の合わせて12球団のようです(笑)

高野山真言宗で主に用いているのは、小野方の「中院流」という現在最もメジャーな流派で、現在も年間百名以上の僧侶が誕生しています。
セ・リーグの人気球団のようです。

これに対し、私の所属する真言宗御室派(本山仁和寺)で主に用いているのは、高野山とは逆の系統の広沢方の一つ「西之院流」という流派で、こちらは年間20~30名くらいの僧侶しか誕生していません。
ですから、拝み方を比べられた場合、明らかに少数派になりますね。

ちなみに、最初に大きく小野、広沢の二つの系統に分かれた理由は、お大師様が唐で師の恵果阿闍梨から3回にわたって灌頂(戒律や印明を授かり、密教を継承する儀式)を受けられたことに対し、「その内容が何だったのか」の解釈が大きく分かれたからです。

これって、「ものの置き方」レベルではない相当大きな問題だと思うのですが、真言宗の面白いところは、自分の流派の正当性は唱えながらも、相手の流派のことを徹底的に排除したり敵対視したりしないで現在に到っているところです。

それどころか、毎年1月に真言宗の十八の本山の管長が東寺に集まって行われる真言宗最大の行事「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」では、様々な流派の僧侶が集まって、一年おきに小野方の流派の修法と広沢方の流派の修法を交代で用いて行われています。
野球に例えるなら、普段は(DH制の有無など)それぞれのリーグで決められたルールの下にペナントレースを行っているけれど、日本シリーズやセパ交流戦では、お互いの合意の元、どちらか一方のルールに合わせて試合を行う様な感じでしょうか(笑)

お大師様の入定後100年足らずで「どちらが正しいか」という決定的証拠が出なかったものが、さらに時間が経って新たな証拠が見つかる確率は限りなく低いです(笑)
そして、決定的な証拠が見つからないのならば、
どちらの「方が」正しいかということに拘らず、
「自分が正しいと信じる気持ち」と同様に「相手の正しいと信じる気持ち」も尊重し、双方仲良くやっていこう
という姿勢に寛容さを感じます。

ちなみに、私がどこかの法要に出仕する場合は、誰が導師か、どの流派で行うかを確かめて、
自分の知っている流派ならうまく合わせ、
知らない流派なら、分からない部分のみピンポイントに気配を消しながら和を乱さぬように拝む
ということに努めています(笑)