晴れと褻(ハレとケ)ーイベントと日常

先日別格霊場の写経奉納法要のWeb配信が終了しました。
霊場会のWeb担当として、また、受け入れ寺院として色々反省点や課題が見つかりましたが、限られた機材や通信環境でも何がやれるかが分かり、それなりの成果はあったと思います。

それとは別に、あらためて、晴れと褻(ハレとケ)の観点から物を見る機会となりました。

晴れとは、「晴れの舞台」という言葉があらわすように、お祭りやイベントなど、一日であれ期間限定であれ、いつもとは違う特別なこと。

褻とは、普段いつも通りに行なっている「日常」を意味します。

「晴れ(イベント)」に必要なのは、ここぞとばかりの普段ではできないアイデアやエネルギーの詰め込み。
一発勝負ならではの瞬発力や緊張感。

しかし、「褻(日常)」として継続していくためには、晴れと同じ緊張感を持続すると疲れ果ててしまいます。
むしろ、毎日続けていけるレベルを判断し、そのクオリティーを維持し続けていくことが大切です。

当山は、毎日朝夕欠かさず護摩祈祷という、かなり難易度の高い日常を続けていますが、それを特別なことではない日常として続けていくためには、長い年月をかけた息切れしない様なシステム構築と、それがあたりまえのことだと思える意識付けが行われてきたのだと思います。

今回の別格のオンラインイベントに関しては、完全に「晴れ」のスタンス。
大勢の僧侶による法要、複数名の方の講話や遠隔地の中継など、とても毎日続けていけるコンテンツとは思えませんでした。
日常を目指すなら、Web配信における「いつでも世界から見られる日常」のクオリティーを見定める必要があり、それを維持していくということはなかなか大変なことだと感じました。
霊場会という組織では、日常とオンラインは両立しないような気がします。

以前、他でも書いたことがありますが、(オンラインではなく)リアルな霊場活動において、イベントが得意な霊場と日常が得意な霊場があると感じます。
当山は、5つもの霊場会に属していますが、ある霊場は、普段のお参りはゼロに等しいのに、年に一度のお祭りの日には会場となる寺院一杯のお参りの方が来られます。
またある霊場は、普段から参拝の方は回っておられる割に、研修会などの特別なイベントには先達さんがあまり参加されない時期がありました。

イベントと日常、どちらかが弱いなら弱点を強化するという考え方もあるかもしれませんが、必ずしもそうではなく、「広域か地域密着か」など、霊場の性格でも目指す方向が異なると思います。
両方揃っているものが完成形というのではなく、色々な観点から見てどちらかの個性を伸ばしていった方が良いという霊場もあると思います。

ここまで考えてみて、リアルの「晴れと褻」とオンラインの「晴れと褻」は似ているようで違う部分もあるのかも、ということにも気付かされます。
ともあれ、晴れと褻を思い返す良い機会となりました。