お願い事(その3)

以前、先輩のオボウサンから教えてもらった「やらない方がよい2種類のご祈祷」のうちの2つ目です。
それにしても、1つ目を投稿してからまさか9年も経っているとは…

1つ目は「誰かを攻撃するためのご祈祷」でしたが、
2つ目は「過去をなかったことにするためのご祈祷」です。

現在よく拝まれているものの中にも、誤った拝み方をすれば「過去をなかったことにするためのご祈祷」になってしまいそうなものは少なからずあります。

その一つが水子供養です。

心から望んでいたにも関わらず、残念ながらこの世で会うことかできなかった赤ちゃんを供養する方にはこのようなことはありません。

しかし、何らかの事情で自ら生むことを断念した場合の水子供養の一部に、お寺に丸投げをして、すべてを脱ぎ捨てて帰ろうとする…そういう気持ちをもって供養を頼む方がいます。

そういう方にはっきりと申し上げたいのは、いくらご祈祷しても過去は変わらないということ。
誰かや何かのせいにして逃げるお手伝いはできません。
仏教や僧侶にできることは、その方の独りでは抱えきれない苦しみや時には後悔を共に受け止め、半分背負い、見守り、ゆっくりと少しづつ楽になるお手伝いをしていくことです。

過去をなかったことにするためのご祈祷になるかもしれないものは水子供養以外にもいくつかありますが、私たちは決して過去を消しさるお手伝いではなく、過去を受けいれ、よりよき自分になるお手伝いとしてご祈念し続けていきたいと思います。