雑感20220419-1ー自戒ー

私が20代の頃、当山に副住職として戻ってきて間もなくの出来事です。

お寺に協力をして頂いている地元の皆様との会合があり、その後の懇親の場で、自分の父親のような歳の檀家さん(ここではAさんとします)と、些細なことからぶつかってしまいました。
元々は、「法要の行列の経路をどのようにするか」ということだったのですが、意見が合わずにお互いの言い分を述べ合っている最中、Aさんの

「私は子供の頃からお寺のことを知っている。戻ってきたばかりのあんたよりもお寺のことをずっと大事に思っている。」

という一言を受けて、

「私だってお寺を継ぐと決めた以上、本尊様に帰依してお寺を護っていく覚悟は貴方には負けていない。」

と言い返したことから、その後は周りの檀家さんが引くほどの口論になってしまいました。(内容は割愛させて頂きます。)

他の檀家さんに「まあまあ、酒の席だからあらためて…」と言われたときも、
「では、今日は収めますが、次にシラフで会ったときに『あんたよりもお寺のことをずっと大事に・・・』の部分からきっちりやり直しましょうか!?」
とまで言う若気の至り・・・(^_^;)

当時の自分は絶対に折れるつもりはありませんでしたが、少し落ち着いてからは、
「さすがに、目上の人に対する言葉遣いは謝ろう。でも、内容に関しては悪くない。むしろ『貴方のおっしゃるとおり、私の方がお寺に対する想いが軽いです。』という副住職では檀家さんも頼りなく思うだろう。だから、どちらが上とかではなく、いつか認めてもらえるくらいになってやる。」
と思うようになりました。

その後、Aさんとお目にかかる機会がありました。
私が勇気を出して話しかけようとするよりも先にAさんが穏やかに近づいてきて、

「色々言ったけど、悪気はなかったからこれからもよろしく頼むわ(笑)」

と仰ってくださったので、「ああ、先に言われてしまった。まいったな」と思いつつも、ほっとしました。
しかし、次の一言を聞いて、私はこれ以上ない後悔をすることになります。

「私が死んだとき拝んでもらうのはあんたのお父さんではなく、あんたになるかもしれんから、その時はどんなに私のことを嫌いでも『地獄に落ちろ』と拝まんといてくれよ(笑)」

…この一言は、今でも心から離れない一言です。

笑いながら仰られたので、Aさんの真意は分かりません。
軽い冗談で仰られたのかもしれませんし、本当にそう思っておられたのかもしれません。
もしかしたら、「あんたは若くてもそういう立場にいるんだから、檀家さんとのお付き合いではそのことを忘れてはいけないよ。」ということを教えてくださったのかもしれません。
いずれにしても、Aさんがそういうことを考えた時点で、人に「安心(あんじん)」を与えることを目的している僧侶としては大失敗でした。

私としては、年齢も上で地域でも信頼されているAさんに対して、自分より上の立場の方に向かっていく気持ちしかなかったのですが、視点を変えれば、自分の先祖を預かってもらい自分も引導を渡してもらう檀那寺の副住職という肩書きを持っている時点で、私もAさんにとっては気を遣われる存在なのだと。
それに気付かずに言いたい放題では、今の言葉で言えば、檀那寺ハラスメントと言われても仕方ありません。

この出来事から、自分は対等(もしくはそれ以下)と思っていても相手はそう思っていないという場合があることを学びました。

これは、檀那寺と檀家さんの関係だけではありません。
それ以外にも、世の中の色々な状況に対し、例えば

客というだけでお店に偉そうな態度をとっていないか?や

クライアントというだけで業者さんに理不尽な対応をしていないか?など、

他にも色々なところで

相手の立場で出来ないことを自分だけがやっていないか?

に気をつけて自分を省みるようにしています。
まだまだ気付いていない所、至らない所はあると思いますが・・・。

その後のAさんとは「どちらがお寺を大事に思っているか」という諍いゆえ遺恨が残ることもなく、檀那寺と檀家さんというよりも、もう少し近いお付き合いをさせて頂けたのではと思っています。
今はAさんはこちらの世界にはいませんが、亡くなるまでずっとお寺のサイドに立った目線で力添えをいただき、また心配をしてくださっていました。
今も時折「少しは安心してもらえるところが増えていれば良いな」と思い出し自戒しています。